次の一歩はとても でも


   092:遠ざかる足音を淋しいと思いながら、ただ其処に佇むだけ

 街へついた。一行に安堵の息が漏れてそのまま宿探しへ向かう。アルヴィンは荷物の袋からグミをちょろまかした。口へ放り込み咀嚼しながら露店を冷やかす。宿が決まったら回ってみるかな。甘い蜜の臭いが鼻先をくすぐって期待が高まる。ピーチパイが特に好きだが甘いモノはたいてい食べる。嫌いじゃないし。ただそういうものは総じて価格が高いから普段は手を伸ばさないだけだ。酒も煙草も中毒になっていないのに、甘いものだけは仲間内で胸焼けがするといわれるほど食べてもなんともない。蜜のかかった揚げ菓子が目についた。蜜の透明な照りが美味そうだ。パンを揚げてあるらしい。足を止めて眺めていると腕を引っ張られた。少し痛い。
「はぐれるだろ」
艶やかな黒髪に琥珀の双眸がアルヴィンに怒っている。少し先で仲間一行が止まっているのを見て、あぁ悪いと素直に謝った。ジュードと駆け出すのを認めてから一行は歩き出して二人はすぐに追いついた。何見てたの。菓子だよ。蜜がかかった揚げパン。ふぅん。砂糖を溶かしたのをかけても美味いよ。おごろうか。いらない。
 とりあえずの宿を決める。まだ年少のものも女性も多い。消耗品の補充やそれぞれの装備の取替えや購入は明日にすると決めてそれぞれ部屋へ引き取った。ようやくマットレスのある寝床を目の前にして女性陣は早々に休むことにしたらしい。アルヴィンはいつもどおりにジュードと同室へ振り分けられた。旅装を解きながらジュードが渋い顔をした。
「グミが足りないよ」
「あぁ、さっきもらったよ。最後の魔物がきつくてさ、倒れるわけにもいかないし腹が減ったから」
「先に言ってくれればいいのに」
「おたくらは宿探しに血眼だったろ」
思い当たる節でもあるのかジュードが押し黙る。それでもなんとか決着をつけたのか新しい話題を振ってくる。
「寝台はどっちがいい。窓側のほうが静かかもしれないけど朝一で日差しに起こされるよ」
「訊くなんて珍しいな。おたくがいつも窓側取るだろ。今回もそれでいいよ」
「訊いてもアルヴィンがいないんじゃないか! 暇だから窓側の方にいて寝る時に戻ってくるんだから自然とそうなってるんだよ」
頬をふくらませて拗ねるジュードにアルヴィンもむっとする。寝床や食事を匂わされて気がたっている。まだ体力に余裕のある男連中としては何かを話し合う前に腹にいれておくべきだった。空腹と疲れで苛立っている。平素であれば笑って済ませることがいちいち気に障る。なんだよ、つっかかるな。珍しいでしょ、アルヴィンは突っかかるほどいないもんね。かちんと来た。
 ジュードの言葉の端々に刺が混じる。アルヴィンは情報屋でもあるから四六時中仲間と行動を共にする訳にはいかない。その辺りは納得した上で同行していると思っていた。荷解きを放り出して寝台に腰を下ろす。荷解きくらいちゃんとやりなよ。明日やるさ。あれがないこれがないって言われても僕は知らないからね。ジュードは嫌味ったらしく上着の埃を払って棚へかける。消耗品の点検をしていた荷物は寝床の間へ置く。細々した作業に産んでアルヴィンは早々に毛布をかぶろうかと思ったが腹が減った。せっかく食事処があるのに固形保存食や燻製肉を食べるのも馬鹿馬鹿しい。ジュードとの諍いを打ち切って食事に繰り出すのが正しいのだろう。
 「今日はもうどこにも行かないの」
ツンと上がる語尾はジュードのいらだちの持続を示す。まだ怒ってんの。怒ってなんかない。ジュードは顔を向けない。丁寧に服の始末をしているようでいて、アルヴィンの方を向きたくないのが如実に判った。まだ華奢な背中が時折ぴくりと震えてはアルヴィンの気配を探っている。
「いつも街に着くなり消えるのに今日はいるんだね」
「行って欲しい口ぶりだな」
琥珀が明確に憤った。アルヴィンの言葉を承服しかねている。そんなこと言ってないじゃないか。へぇそうかい。いつもどこ行くどこ行くって言うやつからどこにも行かないのかなんて言われるのは慣れてなくてな。ジュードが装備品を床へ叩きつけた。硬い音が響く。作りは頑丈であるらしく階下の泊り客が怒鳴りこむようなこともなかった。
「腹でも減ってんの?」
「アルヴィンこそあてがないからここにいるんじゃないの?」
「言ってくれるな、これでも俺は金出す側だぜ」
「僕達みたいなのについてまわってもお金が入るんだね傭兵って」
 旅の疲れで二人とも気がささくれだっている。休みたいと思うのに相手が気になることを溜まった鬱憤のはけ口にしている。些細なこらえで解決できるはずのことがどうしても納得行かない。文句があるなら言えよ。ないよ。アルヴィンこそいつもいつも姿くらますくらいなら一人旅にしたらいいじゃない。今までそうしてきたんでしょ? ジュードはつけつけと言い放つ。母親のような小言に始まって、アルヴィンの行動にどれだけこらえが必要かを滔々と論う。一方的に言いつけられるのは性に合わない。アルヴィンの中にも反発が生まれていた。
「うるさいな」
「うるさいのはアルヴィンだよ」
「おたくは俺のおふくろじゃねぇんだからいちいちどこへ行くかなんて訊くなよ」
「仲間じゃないか」
「仲間って閨にもついて来るかい」
体を折って上目遣いに見上げるアルヴィンにジュードの顔がさっと紅潮した。薄暗くなってきてそろそろ動きまわるには明かりが必要だ。それでもしなうジュードの右手が見えた。飛び退るとジュードの平手が空振った。殴るなら真顔で殴れよ、ばれるぞ。出て行って! 甲高く響いたジュードの声にアルヴィンは背を向けた。
「ついてくるかい?」
洋燈まで投げつけられてアルヴィンはその宿を後にした。


 溜め息が漏れた。旅人が多く利用する大通りを避けている。ジュードと諍いを起こして宿を飛び出してから戻っていない。喧嘩別れすること自体は特に目立ったわけでもない。所属を転々としたアルヴィンにとって明確に別れを告げたことも告げなかったこともある。喧嘩に乗じて抜け出すことも少なくない。路地裏の太い通りを真っ直ぐ進む。開けた場所は路地裏にもかかわらず透明な水を噴き上げる噴水があって、周りに設置されているベンチは夜になると寝床へ変わる。こういうところで夜を明かしたことも少なくない。そもそも真っ当な宿で真っ当に寝起きしていたこのごろのほうが異常なのだ。情報屋として閨まで覗く。汚水を頭から浴びせられることもある。なかなか抜けない水の匂いはいつも気を挫く。
 「お兄さん」
艶やかな黒髪にハッとする。だが目が碧色だ。ジュードかと思ったが彼がこんな所へ出入りするわけもなかった。ジュードに比べて目も少し細くて狡猾な印象が拭えない。唇は紅を引いてあるのか夜の街灯下でもはっきりと赤かった。髪型が似ているのだ。額やうなじを隠すくらいに伸びた黒髪。ジュードのほうが箱入りって感じするな。あれで人も悪くないしな。
「悪いな、お前によく似た恋人がいてね」
「一人でいるのに。一晩いくらだったらいい? 恋人みたいにしてあげるよ」
「あぁ、無理だ無理。あいつはこういうとこに出入りしないんでね。他をあたってくれ」
「真っ当な恋人なんだ」
 揶揄するように言われて倦んだ。くすくす笑いながら去っていく少年の背を見送る。そういえばジュードのやつ泣きそうな顔してたな。飛び出しざまに振り返るとジュードは怒りながらその大きな目に涙がいっぱいに溜まっていて、あれはどこから溢れた残滓なのだろうと思う。まだ年若いなりにジュードの感情表現は直裁的だ。悪戯としてやり取りはするが狡猾に腹に一物抱えることはない。言わない過去も言えない過去もあるだろうと思うが、ジュードは穏やかなたちでなれない旅を頑張っていると思う。学生というある意味で余裕のある階層に居たもののわりに、旅程にも戦闘にも文句を言わない。腹が減ってる時くらい気を利かせてやっても好かったのかも。
 何とはなしにその少年を目で追う。その少年はすぐに客を見つけたらしく壮年の男に腰を抱かれていた。気がむしゃくしゃした。アルヴィンが陣取るベンチの後ろを通る二人連れの会話が聞こえた。ガイアス様が来てるらしいぜ。あぁ、あの若き王、ってやつな。こんなところにいる以上は関係ないよなぁ。アルヴィンの目が夜空を睨む。たまには商売するかな。露店で購入した非合法の煙草を咥えた。火をつけて吸うと目眩がする。ちょっとした幻覚と高揚を含んでいる。違法だろ、という言葉に売人はあっさり言ったものだ。兄さん、真っ当な酒でも幻見る奴は見ますよ。

 いわゆる高級住宅街だ。こんな時間に出入りするものはいないようで通りは嘘のように静かだ。時間考えればよかったなぁ。情報屋の出入りが目立つなど忌避される要因でしかない。まぁ駄目なら駄目でいいかな。捨て鉢になって来訪を告げるアルヴィンに応対したものが受諾した。うっそ。たじろぐアルヴィンの目の前で閉まっていた鉄の門が開いた。主がお待ちです。なんか来るのが判ってるみたいだな。侍従がくすりと笑う。お覚悟をなさったほうがよろしいかと。どういう意味?
 「大馬鹿者が!」
部屋に入ってガイアスが来ると言われて次にこれだ。びりびり奔る怒りの声に、ソファの上でアルヴィンは思わず背筋を正したが理由が判らない。
「おいちょっと待て」
「黙って宿に戻れ馬鹿者」
ガイアスは明確に不機嫌だ。寝てた? 違う。お前がこないから探そうかと思っていた。繋がりが判んないんだけど。ガイアスの中ではすでにある程度の目処がたっているようで、その段取りをアルヴィンが踏まえないと怒っているようである。何も連絡もよこさないで言い草だと思うのだが、ガイアスは意味もなく八つ当たりするような性質でもない。ガイアスの笑顔にも苦しげな顔にも怒りの顔にさえ、何かしらの意味がある。
「宿に戻らないらしいな」
 ある程度の地域を治めるものとしてガイアスにはアルヴィン以外にも情報屋や情報網や伝手がある。アルヴィンとジュードの諍いも耳に入っているかも知れなかった。だがアルヴィンの事情はガイアスには関係ない。突っぱねるように反発してもガイアスは歯牙にもかけない。散々アルヴィンに好き放題を言わせておいて最後に一言問うた。
「それで、何日その宿に戻っていない?」
省みられないアルヴィンが歯噛みするがガイアスも退かない。執拗に訊ねる。根負けしたアルヴィンが日にちを教えるとガイアスは形の良い鼻をふんと鳴らした。なるほど、日数は合うか。
「なにをしにきた」
「……なにか耳寄りな話でもないかと思ってね」
ガイアスは凶悪に嘲笑った。凄まれているのと変わらない。クックっと笑ってガイアスは高いぞ、と言った。なにかあるんだ。ソファの背にもたれるアルヴィンのスカーフが強く掴まれた。引っ張られてつんのめるアルヴィンの鼻先へガイアスの唇が蠢く。艶出しをしたように紅い唇は彼が体の末端に気を配れるだけの高位にいることを示す。運命が変わっていれば自分もその一翼を担えたのかもしれないという思いが忸怩たる苦味になる。
 「そうだな、代金はお前のキスでどうだ」
「は、随分安いな。あとから追加請求は受けないぜ」
うそぶくように嗤うアルヴィンにガイアスは嘲笑った。ならば欠片だけでもいいか。
「ジュード・マティスが来たぞ」
殺せない震えにアルヴィンの指先が跳ねた。ガイアスがいつだったかな、と焦らしてから日付を明確にした。アルヴィンが宿に戻らなかった初日だ。しかもまだ朝靄の残る早朝でな、下働きしか起きていなかったから対応に不手際があったかもしれんな。もっとも。ガイアスは意味ありげに言葉を切った。見つめるアルヴィンにガイアスの口元だけが笑う。あの様子では厨房へ通されても気づかなかったろうな。
「あの子供がオレに頭を下げた訳を考えろ。そこまで頭は悪く無いだろう」
ガイアスはアルヴィンを突き飛ばすと遠い目をした。子供の頃の眠れない一晩のなんと長いことだろうな。アルヴィンは黙ってガイアスの襟を掴んで引き寄せる。唇を重ねた。翻るように出て行く。後ろ姿を見守るガイアスの唇が笑んだ。ガイアスはアルヴィンが出て行った反対方向の扉を開ける。戸締りをしろ。眠る。


 アルヴィンは宿の前で深呼吸をして呼吸を整える。カウンターへ顔を出して名義を確かめる。この名前の連中、未だいるかな? もうお休みかと。男の子一人で残ってる? いえ、宿帳に記入されたお名前の方々で残っていらっしゃいますが。仲間内は欠けずに残っているようだ。これでジュードだけで残りでもしていたらアルヴィンは本当に面目が立たない。あぁそう、ならいいや。これ、オレの名前だから。留守にしてたけどその日数分も払うよ。係の一礼に見送られてアルヴィンは部屋の前に立った。がちゃりと取っ手をひねって開いた扉の隙間へ滑り込む。薄暗がりのそこは洋燈の明かりでほんのり橙に染まっていた。
 ジュードがはっと顔を上げる。頬が照るのは落涙の痕なのだと知ってアルヴィンは余計に苦い思いがした。ジュードは毛布をかぶっていた。細い膝を潜めて幼い顔で泣いていた。
「…ごめん、ジュード」
顔が見れない、と思った。俯き加減に暗い靴先ばかり見据える。会うまでにひどく怯えていたのに顔を見たら見たでどうしたら好いか判らない。うかがうように上げた目線の隅で、アルヴィンの解いた旅装は仕分けられていた。装備品のたぐいはきちんと寝台の上に揃えられ、荷物などの私物は漁られた痕跡もなく枕辺にある。買い足されたらしくグミが寝台の上においてある。袋で求めてあるのはある程度の消費を見込んでいるからだ。体力だけではなく技に必要なパラメータのそれまで求めてある。
「ジュード、その…ごめんな」
あぁ、なにか手土産でもあればな。揚げ菓子だけじゃなくて果物も美味いんだ。柘榴とか。食うの大変だけどあれは美味いから。へらりと笑うアルヴィンに泣きべそのジュードが抱きついた。立てられる爪の痛みは甘い疼痛だ。改めて自分の大人気なさが判る。一人旅と利害の一致を見たものとの旅では感情的な結びつきはない。街へ着けばバラけていくし道中の魔物に遭遇した時の備えとして群れるだけであるから面子の増減は大して話題にさえならない。それが当たり前だったアルヴィンにとってジュードの執拗さは、アルヴィンの中へ新しい価値が有るのだと。ちょっと嬉しいな。
 呼吸が追いつかないほど激しく泣きながらジュードは懸命に何か言おうとする。落ち着けよ。アルヴィンの手がジュードの背をさする。しがみつくジュードの手は白く関節が判る。
「ガイアスに、言われた」

あれは情報屋だ。
こういう事が赦せないならお前に付き合う資質はない。
今ここで修復しても同じ問題は相手を変えて浮き彫りになるだけだ。
赦せないのなら、ここであれを。
切り捨てろ。

「アルヴィンが、僕を、捨てて何処かへ行ってしまうと、思ったら」
咳き込んで肩を揺らしながらジュードが話す。アルヴィンは黙って背中をさすってやった。
「僕には何も言えないのかって、思ったら」
僕はたしかに頼りないけど。それでも好きな人が頼ってきたら応えるつもりくらいはあるんだよ。世間知らずだし、物の相場も知らないし。でも僕は、なくしたらいけないものくらいは知ってるよ。判ってるよ、悪かった。おたくの話も聞かずにとびだして、悪かったと思ってる。アルヴィンを見上げるジュードの顔がふにゃりとゆがむ。ボロボロあふれる涙を拭ってやった。
 「アルヴィン、僕は、僕はきっとまた」
あなたがどこへ行くかを訊くだろう。アルヴィンが笑った。多分その度に俺はうまく逃げるさ。それで駄目なら今度こそ駄目さ。次があるのにもしかしてを心配するほど俺に余裕はないんだよ。それじゃあ嫌か? ジュードは黙って首を振った。本当に駄目なときはさ、何をしてもどんないい状況でも駄目なもんだよ。その時に諦めればいいことを、俺は今諦める気はないぜ。優しいんだな。ジュードの台詞にアルヴィンが笑った。優しいんじゃなくてさ、その場任せなんだ。いつも無責任だってなじられて終わりだ。駄目なときは俺より先に相手が駄目だって言い出すんだよ。
「僕は、言わない。僕はアルヴィンが駄目なんて言わないよ」
「そりゃあ嬉しいね」
「本当だよ。アルヴィン、本当に、僕は、アルヴィンが好きで。アルヴィンに嫌だって言われたら退くつもりがあるくらいには、僕はアルヴィンを好きだよ」
「そりゃあずいぶん、上等な感情だな」
俺はおたくに嫌われてもおたくを好きだぜ? ジュードの双眸が収束する。琥珀の目が潤んで揺らいで見開かれていく。ぱっちりと大きい目であるからそのさまが明確だ。ジュードの目は痛々しいほどに見開かれてアルヴィンを見つめる。面倒で悪いと思うけどさ、俺はおたくに嫌われたくないくらいにはおたくを好きだぜ。
 おたくじゃなくて名前を呼んでほしいな。…ジュード。うん、好きだよ。その響きとか唇の動きとか。見てないくせに言うね。響きで判るよ。ジュードは医学を学んでいたというから発声を聞くだけで形がわかるのかもしれないと思う。所詮、アルヴィンの感知し得ない領域ではある。アルヴィンが黙るとジュードも黙って耳を澄ませた。どうしてガイアスのところ行ったんだ? 僕には耳もあるし目もあるんだよ。アルヴィンこそどうして訊くの。キスひとつ。え? キスしたら教えるって言われておたくがガイアスのところに行ったって訊いたんだ。ジュードの琥珀の双眸が瞬いてアルヴィンを見つめる。
「じゃあ僕にもキスして」
おたくも張り合うな。好きな人のことで妥協なんかしないよ。きっぱりと言われてアルヴィンのほうが赤面した。好きな人、って。好きな人だもん。僕はアルヴィンが好きな人だよ。ジュードが目を伏せた。長い睫毛が頬に薄墨の影を落とす。

アルヴィンがいなくなっちゃった時の足音が本当に淋しかったんだよ

何度も泣いて何度も吐いたよ。ガイアスのところへ行ったときは、僕じゃないことが淋しかったけどもしかしたら会えるかもしれないって、それで訪ねて行ったんだ。結局会えなかったし、その程度でぐらつくなら好きでいる資格はないなんて言われるし、散々だったよ。あいつそんなこと言ったのかよ。でもそれが核心だったんだよ、きっと。
 ジュードの紅く熟れた唇がつやめく。キスして。アルヴィンはそっと唇を重ねた。ジュードの手が伸びてアルヴィンの頤を抑える。逃げようとする体を絡めとる。耳さえくすぐりながらジュードの幼い指がアルヴィンの頤を捉えて放さない。ジュードは戦闘として拳闘するタイプであるから基盤が違うのだと。少なくともそうでも思わないとこれほどに抵抗できない理由がなかった。その抵抗の出来なさすら尊かった。ジュードは純粋でアルヴィンはそこに付随することでまだ意識を保っていられた。利用してるな。ごめんな。眇めるアルヴィンの紅褐色をジュードはまっすぐ見つめて微笑む。いいんだ。ジュードが笑った。僕はアルヴィンに利用されていてもいいんだ、少なくとも利用されている間はアルヴィンは僕を好きだと思えるから。涙で潤みきった琥珀にアルヴィンはキスをした。瞬く度にボロリボロリと玉が溢れる。アルヴィンの中に居られるなら僕はどんな姿だって構わないんだ。
 「大丈夫だって、おたくは十分可愛いからさ」
「可愛いは慰めじゃないよ」
唇をとがらせるジュードにアルヴィンが苦笑した。そりゃあ悪かったな。落涙で紅く染まった目元をほころばせるジュードにアルヴィンも破顔する。ジュードの薔薇色の頬へくちづけた。火照って熱い。ジュードもさせるままにする。装備を解いたアルヴィンの指先がジュードの火照った頬に触れる。かさついた皮膚が吸い付くように馴染んでいく。ジュードの皮膚は十分な水分で潤い、乾燥したアルヴィンの皮膚さえ潤す。ひたひたと二人の領域が侵食されていく。
「ごめん、好きだよ」
「悪いな、俺もだ」
アルヴィンはジュードの黒髪へ鼻先をうずめながら笑った。ジュードもアルヴィンの首筋へ鼻先をこすりつける。獣のようだと笑いながらそれに安堵する。アルヴィンがいてくれるだけで嬉しいよ。そりゃあ嬉しいこと言ってくれるな。本気だよ。嘘でもいいさ。抱擁した。まだ発達していないジュードの体は細い。肩幅もあまりない。アルヴィンが包み込めばすっぽりと収まった。ただジュードは腕を伸ばしてアルヴィンの体を探る。抱かれてろよ。嫌だよ、僕はアルヴィンを抱きたいんだから。アルヴィンは苦笑して何も言わなくなった。ジュードの指先はアルヴィンの背骨を撫でて尾骨にまで至る。
 加減を知らないのか? 知りたくないよ。あっさり言い捨てるジュードにアルヴィンは笑うしかなかった。立ち去る足音を聞かせた身としてはジュードの言うことを聞くしかない。ジュードの方もそういう加減を心得ている。もういなくならないよね? おたくが俺を捨てたらいなくなるさ。唇が重なった。


《了》

ケンカが案外難しかった           2013年3月24日UP

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